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2019-06-19

6月8日二つの大鬼瓦が外されました。

ごらんください!この大きな鬼瓦。瓦屋さんが破損している部分をワイヤーで補正しています。

高さ約2.7メートル、幅約3.6メートルあります。

ソフトクリームの様なマークは寺紋(じもん)です。

種類は「園抱杏葉紋(そのだきぎょうようもん)」。

杏葉の紋は浄土宗のお寺によく使われている紋だそうです。

下部の瓦は年号が書いてないので分かりませんが専門家の方に見ていただくと、上部の瓦よりも約50年ほど昔のものだそうです。

細工人「井狩善兵衛」としか書かれていません。

もう一方の上部の鬼瓦には「天明五歳 巳 四月八幡濱本町」「御瓦師 垣内徳右衛門」と書かれています。

八幡瓦、つまり滋賀県の近江八幡の瓦の瓦ということです。 

鬼瓦師の垣内(もしかしたら垣と読むのではないかも・・)徳右衛門さんについては資料が残っていて京都の東本願寺や滋賀県内のお寺の瓦も作っておられた方のようです。

天明五年(1785年)といえば今から約234年前で歴史の時間に習った「天明の大飢饉の年、真っ最中です。天明の大飢饉は1782年から1788年にかけて発生したといわれています。浅間山などが噴火し、ひどい悪天候が続き農作物は不良。飢餓、疫病が流行り、多くの人々が亡くなったそうです。

明楽寺にも、きっとなにかあって本堂の屋根が破損したんですね。鬼瓦が外されるということはよっぽど酷いことになっていたのでしょう。地元木之本村のご門徒さんの生活もきっとひどい状態だったでしょう。

そんな状態の中にあっても本堂の改修をされたご門徒さんの熱い信仰心が伝わってきます。

234年もの長い年月を経て、今、令和の時代に生きる私たちの目の前に現れました。私は二つの鬼瓦が、何かを訴えているように感じてなりません。    南無阿弥陀仏

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